Stペテルブルク、モスクワ

 ロシア人は帝政時代から赤が好き、修道院でさえ内部が「赤」ウンザリ

 資本主義国そのもの、「2コ、シェンエン(千円)」の物売り

 Stペテルブルクは西欧の港町、少し落ち着きます

1。7月20日
今回は総勢36人、夫婦10組、女性ペアが5組、女性4人組、単身は女性1,男性1。パンフレット記載による人気添乗員「岸下さん」。今までで最大の人数です、最後まで全員の顔を覚えられませんでした。集合は10:30とゆっくり、毎日の出発が早くても8:30と安いパックにしては日程が比較的ゆったりしていました。
  アエロフロート・ロシア航空は初めての搭乗でちょっと心配でした。サービスで劣るのは、アナンウスが片言日本語、イアフォーンから音が出ない席が多数(もちろん、文句言っても空いている席へ移れ。席は空いており、我々も3席を二人で使用、3席を一人で使用し横になって寝ている女性がいた=相当のモサ)、飛行機の現在位置表示がない、飲み物のレパートリが狭い。その代わりに他社ではビジネスクラスにしか配給されないスリッパ・アイマスクが付きました。

Stペテルブルクの空港はまるで日本のローカル空港並の施設です、約10時間でプルーコボ空港へ到着。これでも今年は都市建設300周年記念で、主要国首脳が集まるサミットも開催されましたので整備されている筈です。私たちも混んでいるかもしれないが、道路や各種施設が整備されていて却って良いのではと期待していました。以前にこられた方達は相当不満があったものと思います。整備されてこれですから。またロシア人のサービス精神の欠如というか、自分の利益にならないことに愛そうすることはないと正直なのか、愛嬌があった人たちは極めて少数でした。

 1980年のモスクワ・オリンピック(日本・西欧は不参加)のために建設されたホテルに冷房はありません、部屋も殺風景です。北欧のホテルには冷房が殆どありませんので驚きませんが、異常気象で暑い、暑いのです。日本は今年冷夏ぎみですので、湿気が少ないとはいえこたえました。

 通貨はルーブル、しかし場所によってはドル以外は受け取らない所があるという、極めて自国通貨の信用度が低く、外貨不足が深刻のようでした。

Stペテルブルクで宿泊したホテルは、中心部からはずれた「バルチック海に面した」という名のホテル、PRIBALTIYSKAYA です。安いパックですので中心部からはずれた周辺はアパート群の中に立っています。「農業バイオ学会」の総会が開催されており、日本からも学者と学生らしき人が多数きていました。


2.7月21日
 昨晩はそうそうに寝ましたので、食事の前に海岸まで散歩に行きました。ワイン瓶、ビール缶等のごみが散乱しており、コケのようなものが砂利に付着しており汚い海岸です。悪臭はしませんが海の臭いも微かにします、あとで聞きましたが、バルッチック海は大洋への開口部が狭く河の水が流れ込みロシア側は淡水だということで頷けました。
 ロシアのホテルのコーヒーはまずい、飛行機の中もまずかった。紅茶とコーヒーの選択ではずうとコーヒーで通したが、唯一カ所の喫茶店を除きすべてまずかった。一般的にロシア人は味音痴ではないか、しかし食事は日本で食べるロシア料理のしつこい味とは違い日本人によく合う。これはこのパックに参加した大半の人の反応であり、食事は思ったよりさっぱりしていて味もある。イギリスの食事は味がない、まずいので有名だがコーヒーはましであった。食事、飲み物については日本が世界一である。

 Stペテルブルクは「東のベニス」と呼ぶ、河・運河が多数あり観光地だからだという。もともとは湿地帯であり、ここに建造物を建てた時も地盤沈下を防ぐため、多数の杭を打ち込み、かつ商人に建築奨励する条件として多数の岩石をもちこませ建物の基礎に使用させた。この点では、単なる木の杭の上に立っているベニスよりも賢い。ベニスは三角州の砂堆積等による海面上昇により遠からず水没の運命にあるという。
  市内観光は、まず外観だけの観光つまり写真撮影のためのバスストップ。そしてバレエ養成学校の見学、これは観光用にセットされたのであろう、小さな円形ホールの階段席に我々が座り、男性の教師1名と男女3名ずつの生徒による練習風景であった。共産党時代と異なり芸術関係の補助が極端に減少し、公立から民営に移行している。従って、この教師、生徒たちも、どうせ練習するのだからついでに金がもらえればと観光向けにやっているのであろう。年齢が15歳をすぎた人たちばかりのようであり、この年齢でこのレベルではこの中から有名なスターが出るとはとても思えない。
 昼食はMonopoliaレストセンでピロシキ、ボルシチスープ、ポークソティ、アイスクリームでした。ビールの味はいまいちである。冷えていないことも一因である。日本のようにギンギンに冷やすのは邪道であるが、ほんとにおいしいのは10から15度程度であり、ベルギーで飲んだビールは確かその程度の温度であったがおいしかった。この後、1回体調がすぐれなかった時を除き、食事のたびにビールを注文したら、だんだん舌が慣れていった、屋外広告等が目立つ「バルチカ」というビールはちゅっとましな味であった。
 午後はエカテリーナ宮殿の見学、開門まで入り口で待たされている時に、どしゃぶりの夕立にあった。今回の旅行中、暑い暑い日差しの強い日々であったが、この雨はこれ以降必ず傘を持参させるほど強烈であった。ガイドブックを売っていた物売りが、急遽、ビニール雨合羽をうりだしたのは、さすが「資本主義国ロシア」と驚いた。
 宮殿の中は、フランスのヴェルサイユ宮殿を模して建てられたというが、ヴェルサイユ宮殿より親しみがあるというか上品である。しかし、いただけないのは一番有名な「琥珀の間」である。これはちょっと品がない、その後見るロシアの宮殿、寺院、また修道院までが、ごてごてした色遣いの壁面にへきへきすることになる。
 庭園もヴェルサイユ宮殿よりは品がよい、これらはロシア皇帝の中でも、自宅は質素にしたなど賢明な人であったピョートル大帝が建築させたことによるのかもしれない。その後の皇帝たちが建築させた宮殿類は、どうも物量主義、多色主義、…なんでも大量・大きければよい、「世界一の大砲」「世界一の教会の鐘」…観光ガイドの言葉のはしはしにもそれらが感じられる、それらはどこから誰から奪取してきたのか、それにしても大量に集めたものだ、好きじゃない。
  行程の最初はプーキシン広場、ワシリー島からネヴァ川の向こう側にエルミタージュ、ペトロパヴロフスク要塞が見えました。赤いロストラ柱のまわりは土産物の屋台がでています。以外にも売り方はおとなしく感じた、共産主義→強制的という先入観があったからかもしれない。
  海にはオーロラ号、ネギ坊主のような血の教会、聖イサク寺院、を見学してから、おきまりの土産物店へはいりました。このこの入り口で配られた無料のウオッカがおいしいのです。ウオッカとはジンなどと同じでベースになる蒸留酒で味も殆どないと思っていたら、あるんですね美味しいウオッカが。この店ではなく別の所で買いました。帰国後、友人に1本あげると、その反応がいいですね。北大にロシアの教授が来日した時の土産が同じブランドで美味しいとホームページに書いてあったとのこと。日本へは輸出されていない美味しいウオッカがある。このことをロシア人は知らないのではないか、これらを輸出すれば日本で売れます。そのうち気の利いた日本人が輸入するかもしれない。


3.7月22日
ホテルをでて1時間ほどでピョートル夏の宮殿へ行きました。上の庭園からスタートし、並木道が美しい中をゆっくり散策しました、途中で結婚したばかりカップルとその仲間たちに逢いました。ヴェルサイユ宮殿を模して作られた宮殿、庭には147個の噴水や彫像があり、それは海岸まで長い水路となって続いています。冬季には噴水が凍り付いた写真が売っており、それはそれで面白そうである。
宮殿をでてバスでエルミテージュ美術館の予定でした、ところが道路渋滞に巻き込まれました。原因は交通事故なのか自然渋滞か知らないが、渋滞状態の自動車が勝手な行動をするのは、なんとも奇妙というか、政府・警察等を信頼してせず、困難時には自分たちで行動しなければ解決しないと思っているようである。一時は途中で地下鉄に乗り換える許可をガイドが日本本社から受けた(テロの問題もあり極力、このツアーはバスで行動するのが基本のようである)が、1時間程度の予定が2時間30分程度かかって、どうやらまあまあ見学できる時刻(3時55分)に到着した。
エルミタージュ宮殿を造ったのはエカテリーナ2世だが、ドイツの貧乏貴族の出身で 義母が息子(皇帝)の奥方を探す目に合致した人であったのに、この豪華な美術品はどうしてであろうか。彼女の夫はインポテンツで彼女をさわろうともしなかった。その反動で何十人という男との男狂いの生活をしたという。夫が死んだ後は女帝になっていることから見て相当の策略家であったようだ。それにしてもズゴイ、許せるのはこれらの美術品を強奪してきたのではなく、買い求めた点である。そのかわりその後宮廷はこれらの浪費ぐせから疲弊し、ロシア革命へと続いている。
自由時間には、聖イサク寺院を見学した。西欧のカソリック教会の中はどちらかといえば彫像が多いのに、ロシア正教の教会内は壁画が多い、それも周りの壁面全てが絵画であり、色も華やかである。ツアーで知り合った女性はここサンクトペテルブルクで一番がイサク寺院だと言った、たしかにちょっと感動した。
夕食はチャイコフスキー(chajkovskij)でキャベツのシチュー、スズキでした。その後モスクワ駅から夜行列車でモスクワまで約8時間の旅です。ドアが泥棒対策で3重になっているのは面白い。走行途中で車外の景色を見ようと思っていたがぐっすり寝てしまい、 残念なことをした。

4.7月23日
モスクワのレニングラード駅に到着しました。駅名の付け方もフランス風です、つまり行き先終点の町の名前をつけます。レニングラードはサンクトペテルブルクの以前の名前です。ターミナルとは終点という意味で、これの方が分かり易い。日本ではダメです、終点が何処で議論になります。日本に眞の意味でのターミナル駅は殆どない、いやある筈であるが私は余り見たことはない。
まずはロシアホテルという馬鹿でかいホテルで洗面と朝食です。モスクワオリンピックの時に作ったホテルだということで馬鹿でかい。オリンピックの時に作られたものは何処の国でも大体あまり上等・上品なものはない。
食事をしたらモスクワにおさらばして、ロシアの古都が点在する「黄金の環」めぐりです。モスクワからウラジーミルまで182キロ(バスで約3時間)、ここからスズダリまでは30キロ(約30分)、そこからセルギエフ・パッサートまで200キロ(約2時間30分)、そしてモスクワへ62きろ(約1時間30分)。今回の旅行で訪れたのは、この3ヶ所でした。 修道院が沢山あり記憶の海は混乱状態になるほど似ている。
ウラジミールに到着してまず腹ごしらえ、「RUSSKAYA DEREVNYA」(ロシアの村という意味)の入り口で塩入パンをロシア娘から儀式をうけ、きのこスープ、ピフストロガノフ、こけももパイ。観光スタートは「黄金の門」から、ウスペンスキー寺院で薄暗い寺院内でお祈りする多数の人とイコン。ウスペンスキーというのは「マリアの昇天」という意味であり、フランスのノートルダム寺院=ノートル(聖なる)ダム(女性)つまりマリアのことで、パリだけでなく、フランス中の大きな町に必ずあると言っていいのと同じのようです。隣のドミトロフスキー寺院の外壁のレリーフは有名です。見学後近くにモスクワからきた少年少女のグループの中の数人が近寄ってきて日本のコインと自分のコシンを交換してくれと来ました、恥ずかしそうに英語で話すのは好感がもて交換した。
バスでボゴリューボヴォ駅へ、これはシベリア鉄道の線路だということで、無人駅の駅舎と線路を写真にとりました。この線路を越えて少しいった畑のど真ん中で、時間がないためか遠方に見えますあの建物がポクロプナネルリ寺院です、これはちょっと不満が残ります。
それからスズタリです、これは修道院だらけの町です。土手を歩いてクレムリンの中へ、クレムリンも城壁・土手という意味だそうです。ちょっと見た感じは「監獄の壁」です。 ネギ坊主たくさんのロジェストヴエンスキー寺院、木造建築群のニコライ教会、バス移動して展望台から男性ロジエストヴエンカキー修道院、女性ポクロフスキー修道院を見学 しました。 
5.7月24日
 午前中はひたすらバスが走ります。セルギエフ・ポサードへ。昼食はRUSSKIJDVORIKでチキンスープ、ペリメニ(中国からシベリア経由で入ってきた水餃子)。食後はそのレストランの受付ホールで売っていたマトリョーシカは安いので皆さんが買いました。3個で千円です。クレムリンの中に入り写真撮影許可料金を支払うとキップのほかに、合唱団の音楽テープ付でした。トロイツエセルギェフ修道院へはいります、こちらは14世紀に建てられたもの、18世紀のものなど多数の建物があります。まずはトラピズネ僧院大食堂へ。金箔のシャンデリア、そしてトロイツエ三位一体教会(金ぴかのネギ坊主)へ、中は写真が撮れませんでした。最後にウスペンスキー大聖堂へ、青いあざやかな屋根の中に壁画が見事でした。
 モスクワに戻り、ホテルコスモス、カジノもあり、劇場もあるやはり大きいホテルです。 夕方はボリショイサーカスの見学です。クマ、チンパンジー、アザラシなどの動物の芸と 人間の芸、約2時間でした。夕食はSurorovでサリヤンスープ、など。  
6.7月25日
  モスクワ大学へ、元々の大学は市内にこじんまりとあるが、拡大した大学は郊外の高台の広大な土地に、まるでエンパイア・ステートビルのような巨大な建物が大学だという。全くなんでも巨大なものが好きな民族なのか。夏は結婚シーズンであり、挙式後に市内の有名観光地を数カ所まわり新婚夫婦が写真をとるのが習わしだということで、ここにも新婚さんが二組ばかりきていました。ここから市内が一望に見渡せる、たしかに観光地には違いない。
  救世主キリスト聖堂、ノヴォデヴィッチ修道院、白鳥の湖が目の前に広がっていました。次にクレムリンの北東のレーニン廟、赤い炎と護衛の兵隊。ロシアホテルに停車して、赤いタマネギ型の聖ワシリ寺院を見学して、ロシア最大の3階建てグム百貨店を少し入りましたが、アイスクリームが美味しいとのことでそれを食べたら買いたいものもないなんということはない建物でした。キエフ駅付近の桟橋からランチクルーズを約1時間30分。   夕食はウハーという魚のスープとキエフ風カツレツでした。予約してあったバレーを見るために宿泊ホテルに急いで戻りました。バレーというのを初めてみたが、なんというか宝塚歌劇と大して違わないという印象である。こういうと芸術を理解しない人だというかもしれないが、多数の人が良いというから右に習えという人が多すぎる。ハッキリ言うべきである。
7.7月26日
 本当のクレムリンの中の武器庫見学、私は武器に興味ないよと考えていたら、武器庫という名前の宝物殿である。なぜ武器庫と名前をつけたのであろう、宝物でも武器でも侵略者は一番に中の物を持ち出すであろうから、どちらでも同じかな。まあキンキラキンです。 これらも侵略で集めたのでないそうである、ほんとかな、それにしても沢山買い集めた?その財力に感心する。ウスペンスキー大聖堂はロシア正教の総本山で歴代皇帝の戴冠式がが行われた。これらもいわゆるクレムリンの中に建っている。ほかに実用にはならないであろうが「鐘の王様」「大砲の王様」という巨大好きロシア人の象徴のようなものが庭というかクレムリン内に展示されている、それらを背景にアメリカ人、カナダ人のグループが写真を撮っている。これだけを見ていると米ソ対決は昔の話といえる。
 昼食はサリヤンカ、ロールキャベツ、などを食べて、シエレメチェボ空港へ。 
8.7月27日
  成田着陸9:50とちょっと遅れました。出発前にトランクは、荷物検査後にガムテープで十字に封印しておかないと開けられて中身を盗まれるといわれましたが、全員どうやら無事のようでした。

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